こんにちは!
さえこです。
今日は、保育士試験「社会福祉」で出題される諸外国の社会福祉の歴史について書きたいと思います。出題頻度はあまり高くはありませんが、前回が平成27年地域限定試験での出題ですので、そろそろ出題されてもおかしくはないかなと思います。
こちらの内容はそこまで複雑ではなく、流れを理解していけば頭に入りやすいのでしっかりと整理しておきましょう。
社会福祉の歴史と言ったら特に重要なのがイギリスです。
それでは順に見ていきます。まずは、16世紀~19世紀頃の流れです。
国家での救済策
エリザベス救貧法
1601年にエリザベス1世の統治のもとで行われた、大量の貧困者対策です。労働力のない者、貧困者、要保護児童などに限定していました。
新救貧法
1834年にエリザベス救貧法の代わりに制定されました。こちらには以下の3つの原則がありました。
均一処遇の原則
院内保護の原則
劣等処遇の原則
均一処遇の原則
貧困者に対する対応を全国で統一する
院内保護の原則
原則、救済は施設内のみで行う
劣等処遇の原則
救済の水準は、最低階層の労働条件を上回ってはいけない
今の社会保障と比べるとかなり限定されていますよね。最初はこのようなレベルから始まりました。
以上の2つの法はあくまで国家で決めた救済です。
それでは、それ以外の民間の救済活動について見ていきましょう。
民間の救済活動
慈善組織化運動(COS運動)
当時、同一人物に複数の団体から救済をしてしまったり、逆にどの団体からも受けられていなかったりとなかなか対等に受けられていないという現状でした。
そこで誕生したのが…
慈善組織化運動(COS運動)です!
ロンドンをはじめ各都市に慈善組織協会が結成されました。
こちらによって、貧困者の個別調査が実施され、救済の漏れや重複を防ぐことができました。
セツルメント運動
慈善組織化運動とほぼ同時期に、イギリスのバーネット夫妻らによって始められた、セツルメント運動があります。
この「セツルメント」の意味は「移住」「隣保」という意味で、スラムに創設したセツルメントハウスにて貧困者とともに生活をして貧困問題や労働問題に取り組むという目的があります。
最初に設立されたセツルメント・ハウスはトインビー・ホールという名でした。
また、アメリカのシカゴに設立された、世界最大規模のセツルメント・ハウスはハル・ハウスです。
そして、忘れてはいけない、わが国日本。
1897年に片山 潜が東京の神田にキングスレー館を設立しました。
ブースとラウントリーによる貧困調査
この2つの調査により、貧困の原因は社会的要因が大きいということが分かりました。
ブース
ロンドンで調査を行い、その結果を「ロンドン市民の生活と労働」にまとめています。
ラウントリー
ヨークで行い、その結果を「貧困ー都市生活の一研究」にまとめています。
近代に向けての社会福祉
この頃、資本主義社会のイギリスは周期的に不景気となり、大量の失業者が発生しました。貧困の原因は社会にあるという認識が広まり、1911年にはドイツの国民保険制度を参考に「国民保険法」が制定されました。
こうしてイギリスの社会保障制度が徐々に発展していきました。
しかし、その後1929年の世界恐慌によって貧困問題は更に深刻となりました。
ベヴァリッジ報告
1942年に「社会保険及び関連サービス」(ベヴァリッジ報告)を公表しました。こちらは、社会の貧困を生み出す5つの巨人(貧窮、疾病、無知、不潔、怠惰)に対応することが社会保障の目的であるということが記されています。
また、「ゆりかごから墓場まで」といった生まれてから死ぬまで安心して暮らすことができるようにという社会保障制度の基礎となりました。
最後に
いかがでしたでしょうか?
社会福祉は出題範囲がとても広く、どこまで勉強しても網羅しきれないのが現実かと思います。だからこそ、こういった基本的な内容は頭にしっかりと整理して入れておく必要があるかと思います。
本日も、お忙しい中最後まで読んで頂きありがとうございました!